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今回からは大体水滸伝の敵(一部その他の人もいるかも)をお送りしたいと思います。今回は宋の皇帝3代です。単純に敵というには可哀そうな所もありますが奸臣をはびこらせたという意味では罪深い人たちです。宋神宗(そうしんそう)新法断行。北宋第六代皇帝。若き日に王安石を登用し、国家の窮状を救うべく「新法」を断行した変革の主。重い財政負担に喘ぐ小農民を救い、軍事力を強化して富国強兵を目指す万夫不当の意志を持っていた。しかし、司馬光ら旧法党との熾烈な党争が朝廷を二分し、その軋轢は後世に深い禍根を残すこととなる。西夏への親征失敗を深く悔やみ、改革半ばにして心労の果てに没したが、その志は北宋の命運を左右した。宋徽宗(そうきそう)風流天子。北宋第八代皇帝。芸術の深淵を極めた稀代の才子であり、独自の書体「痩金体」を創始した。絵画や書において神の域に達し、風雅を愛でる姿はまさに傑物であったが、政治においては蔡京ら「六賊」を重用し、民衆の離反を招いた。『水滸伝』の物語においても、好漢たちの招安を巡りその動向が描かれるが、実態は奸臣に目を曇らされた悲劇の君主である。「靖康の変」によって金の虜囚となり、北方の荒野でかつての栄華を夢見ながら、寂しくその生涯を閉じた。宋欽宗(そうきんそう)亡国の悲運。北宋第九代皇帝。滅亡の淵に立たされた北宋の最後を継いだ悲運の天子。父・徽宗から投げ出されるように譲られた帝位は、もはや沈みゆく泥舟であった。金の軍勢が都を囲む中、抗戦と和平の間で揺れ動き、決断を下せぬまま亡国の道を辿った。靖康の変後は父と共に五国城へと連行され、三十年近くに及ぶ屈辱的な幽閉生活を送った。かつての帝国の栄光が塵と化す様を最も間近で見届け、故郷の土を踏むことなく異郷に果てた、歴史の非情を体現する人物である。名前を宋〇〇としたのは中華系サイトではこの皇帝たちの紹介時におおよそ宋〇〇と紹介されているのでこれでよいのかなとw宋〇〇なら君主にした時にも宋が国号みたいに見えるので丁度良いとも次回に子孫である南宋の宋高宋が入るので国としても長く存続できると思います。