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Response for Thread #2330

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[1] No.2330... 成田甲斐 [Date:2026/05/26(火) 01:37] [削除] [編集]

水滸伝方臘1

2330 - 213 x 320 [31KB]
水滸伝方臘1

今回からはもう一つの梁山泊である方臘軍に突入します。
原典ではこれが最後の梁山泊の戦った相手となり108星のうち半分近くを失う激戦となります。

方臘(ほうろう)
■ 列伝
江南の反乱指導者。睦州青渓県の出身。
元は漆園を経営する富裕な民であったが、時の宋朝が「花石綱」を設けて江南の富や奇岩珍木を過酷に徴発し、民衆が困窮しているのを見て、その怨嗟の気を利用して挙兵した。天の意思が自らにあることを説き、またたく間に数万人を集め、睦州、歙州、杭州、蘇州、常州、湖州の六州五十二県を席巻。自ら「聖公」と称し、永楽という独自の元号や官爵を定めて北宋に対抗する一大勢力を築き上げた。
朝廷の招安を受け、自らの領土へ進攻してきた宋江率いる梁山泊軍と各地で激戦を展開。多くの頭領を討ち取って壊滅的な損害を与えたが、王慶や田虎のような他の反乱軍と結ぶことなく孤立を保ち、王大伴や童貫が率いる朝廷の本隊、そして梁山泊軍の猛攻によって拠点を次々と失う。最後は梓桐山の洞窟に潜んでいたところを魯智深に捕らえられ、東京開封府へと護送されて凌遅刑に処された。

方天定(ほうてんてい)
■ 列伝
方臘の長男。南臘国の皇太子。
父の即位に伴い皇太子に立てられ、梁山泊軍との戦いにおいては、江南の最大の要衝であり、実質的な最前線となった杭州城の守備総大将を務めた。配下に「江南四帥」と呼ばれる雌V閏、石宝、ケ元覚、司行方といった第一級の猛将を擁し、自身も優れた統率力を発揮して城を死守。張順、董平、徐寧、索超、カク思文をはじめとする梁山泊の主要な頭領たちを次々と戦死・戦病死に追い込み、宋江軍に空前絶後の大打撃を与えた。
しかし、烏竜嶺の失陥に伴って背後を脅かされ、水陸両面から猛攻を受けたことで杭州城は陥落。馬を飛ばして北門から五雲山へと敗走し、川を渡って逃れようとしたところを、戦死した弟・張順の霊に取り憑かれた張横に発見され、一刀のもとに斬り落とされて首級をあげられた。

婁敏中(ろうびんちゅう)
■ 列伝
方臘朝廷の文官。左丞相。
方臘の挙兵当初からその知略を信頼され、南臘国の国政と軍事謀略の最高幹部である左丞相の地位に就いた。
梁山泊軍が前線の要害・烏竜嶺に迫った際、烏竜嶺の守将・石宝らと連携して防衛作戦を指揮。水軍で攻め寄せてきた阮小二の退路を断ち、乗船に火を放って彼を自害に追い込む軍功を挙げた。また、宋江の計略によって「柯引」と偽名を使って変装潜入していた柴進の文才と風貌を高く評価し、方臘に彼を推薦して公主(方臘の娘)の婿に迎える手引きをしてしまうが、これが最終的に内応を許す致命傷となった。
のちに睦州城が梁山泊軍の猛攻を受けて陥落すると、自ら軍を率いて決死の抵抗を試みるも敗戦。敵の捕虜となる屈辱を避けるため、梓桐山の林の中へと逃げ込み、自ら首を吊って自害した。