杜微(とび)【列伝】方臘配下の将。もとは睦州の鍛冶工。戦場では大斧を武器とし、背に隠した「飛刀(ひとう)」を放つ名人。梁山泊軍との戦いでは歙州(きゅうしゅう)の守備に入り、尚書・王寅らと共に防衛戦を展開。さらに最終決戦となった清渓県(せいけいけん)の戦いでは、方臘の親征軍に従軍した。激しい乱戦の中で得意の飛刀を放ち、梁山泊の頭領である孫二娘(そんじじょう)と郁保四(いくほうし)の二名に手傷を負わせ(あるいは撃ち落とし)、戦死させる大きな戦果を挙げた。また、これに先立つ戦いでも、味方の将・方杰と交戦中だった猛将・秦明を飛刀による奇襲で動揺させ、討ち取りを援護している。方臘軍が壊滅すると身を隠していたが、潜伏していた民家の主人に捕らえられて梁山泊軍に引き渡された。最期は、戦死した頭領たちの供養のために生首を斬られ、祭られた。雌V閏(れいてんじゅん)【列伝】方臘軍の「四大元帥」のひとり。独松関(どくしょうかん)の守備を任された猛将。攻め寄せる梁山泊軍に対し、関の上から不意を突いて突き進んできた周通を一刀のもとに斬り捨てる。さらに、董平が左腕を負傷した隙を突いて関を打って出ると、董平を救援せんとした張清と一騎打ちを展開。張清の槍をかわして松の木に突き刺さらせ、身動きが取れなくなったところを突き殺した。最期は、兵を引き連れて敗走する途上、追撃してきた盧俊義と遭遇。一騎打ちを演じるが、三十合(あるいは数合)交えた末に討ち取られた。方肥(ほうひ)【列伝】方臘の同族であり、その宿老。方臘が国を興すと「丞相(じょうしょう)」の位に就き、文官の最高幹部として内政や宮中の政務を司った。梁山泊軍によって国都・清渓県(せいけいけん)が包囲され、城門が突破されると、混乱する宮中から方臘の逃亡を助けるべく奔走した。しかし、城内へ雪崩れ込んできた梁山泊軍の猛攻の前に敵わず、生け捕りにされる。反乱が鎮圧された後、主君である方臘や他の主要な首謀者らと共に、都の東京(開封)へと護送され、凌遅刑(寸寸斬りの刑)に処された。